20210401 Day to Day/エイプリールフール

本屋で「Day to Day」を買った。数ページ目を通して、treeで無料公開されていた企画だったと気付いて、既に目を通した作品ばかりなのでは? と思ったけれど、Webで公開された作品として読むのと、一つの本として漫画と文章がまとめられた本を読むのとは印象が大きく違った。これは買った価値があった。

この「Day to Day」はコロナ禍をテーマとした作品集なのだけれど、それぞれの作者がそれぞれの熱量と思いで書かれていて、ページ順(日付順)通りに読むと統一感がない。楽観的だったり悲観的だったり、温和だったり辛辣だったり、お手本のようだったり奇抜だったり、コロナ禍の世情に対してそれぞれの人間が書きたいことを書いている。

その当時に自分が考えていたことが、作品としてまとめられていることを羨ましいと思ったけれど、よく考えると何か文章を書き残すことは、誰でもできることなのだ。ちょうど四月で何かを始めるには良い機会なので、日記を書くことにした。


エイプリールフールにコロナウイルスに感染したと嘘をついたら大変なことになるから気をつけよう、というTweetを見たけれど、そもそもコロナ禍の前からエイプリールフールで病気をネタにする人は責められていたよなと思う。

ネタにして良いものと悪いものの違いは、学校のクラスや部活や、何かのグループでの生活で学んだと思う。ネタにすることの深刻性が人によって違う、ということを想像できるとトラブルにはならない(だから不特定多数に向けてのエイプリールフール企画は難しい)のだけれど、特にこのコロナウイルスに関しては、問題に対する捉え方が人それぞれだし、嘘を付くネタには適さないだろう。

ただ、創作のネタとしてこのコロナウイルスはどう考えられているのだろうかと思う。

不治の病などで人が亡くなってしまう別れの物語を、泣ける物語として売り出すやり方があるけれど、コロナウイルスを題材とした場合は大きく非難されそうな気がする。ただ数年後に状況が沈静化してから物語として売りだすなら、真に迫って感動すると大きくもてはやされるだろうか。ただ、地震津波で人を失ったことをテーマとした「泣ける物語」は見かけないので、やはり現実に近いテーマだと受け入れられないと思う。発症する割合が少ない、自分には関係ないと思える程度の病気や災害でなければ、「泣ける物語」の題材には適さないのかもしれない。