20210402 大阪のコロナウイルス感染者数/行政と市民

大阪ではコロナウイルスの感染者数が大きく増えている。先月頭は毎日100人程度の感染者だったことを考えると、600人の感染者数というのは大変に多いのだけれど、今の感染者数がどれだけ危険なのか? ということに関してはなかなか想像力を働かせることが難しい。大阪府の人口は880万人なので、もし毎日の感染者数が880人だとすると、感染する割合は万に一つだ。「万が一」と言われると、非常に低い割合のように正直思える。一個人の視点で見ると、まだまだ危険性が低いように感じてしまうのだ。

ただこれ以上に感染者数が増えると、感染者数の指数的増加に対して、社会が感染拡大をコントロールできなくなる。医療機関のキャパシティがなくなり、対面での社会活動が機能しなくなる。各々が感染する可能性を減らさなければ、社会として感染者数を減らすことが難しいため、今の「万が一」の段階から感染拡大を防ぐ必要がある。

とは分かってはいても、それを想像して個人の行動に結びつけることは難しいのだろう。結果として、先月の一ヶ月で感染者数は増え続けているのだから。「感染者数が増え続けても、各個人の心がけでは抑制ができなかった」というのが三月の結果だ。

もしかすると大多数の人は十分な感染対策ができており、感染対策が不十分な一部の層で感染が拡大しているのかもしれない。実際に多くの人は、直近に発令された緊急事態宣言の前後で、行動を大きくは変えていないように見える。正直なところ私もそうだ。

今の自分の行動で大丈夫だと多くの人が何となく思っていて、その行動をどこまで広げることができるのかを、各々が水面下で模索しているというのが現在の実態だと思う。ただ「危うく感染しそうになった」という感覚になることは、このコロナウイルスに関してはない。ラインを越えそうになってヒヤヒヤするような感覚を得られることなく、気付いたときには感染してしまうのが今回のウイルスだ。これまで感染しかなったから大丈夫、という個人の経験に基づく判断で活動範囲を少しずつ広げていては、いつかは感染してしまうのだろう。

「自粛」を「要請」することの矛盾、といった意見があるけれど、社会の一員として活動する以上は、何か指針が必要とされるのだろう。残念ながら、自主的な「自粛」では感染の拡大を防ぎきることが、今のところは難しいようにみえる。そして社会的な指針を出せる組織は(今のところは)行政であり、まずは行政の言葉が信頼されなければならない。

と思っていたら大阪の知事が「緊急事態宣言で大阪は感染を抑えすぎた」といった意見を作り出そうとしていて、さすがにげんなりした。元となっている話は、感染者数全体に対して変異株の割合が多い理由を説明している内容だと思うのだけれど………。感染者数を減らした対策は間違いだった、あなた方府民の感染防止対策はやりすぎだった、という意見を持ち出そうとする行政の指針に、これから誰が従いたいと思うのだろうか。だが大阪で旗を振れる組織は、大阪府なのだ。

行政の指針に頼るなんて、そんなに行政に自分の行動を縛られたいのか? と自問することはある。自分の事だけを考えるのなら、自分の判断で自由に行動できることに越したことはないし、行政の指示に従って行動すれば感染してもいい、というわけでもない。結局は自分が感染するかどうかは、自分自身の行動次第ではある。けれども、皆が自由に行動していたら、他人を信用できなくなり、結局は各々が自由に行動できる範囲は小さくなってしまう。自由に行動するために指針を求める、というのはこのコロナ禍の前にはなかった感覚だなと感じる。