2021-Week22 SUPERSONIC/緩和/くるり/ランニング/金曜の夜/オリンピックの優先度/平凡な週末

20210531

SUMMERSONICではなくSUPERSONICが、この9月に海外アーティストを呼んでの開催を目指しているとの声明が出た。

オリンピックが中止になるとさすがに決行できないだろうけれど、オリンピックが開催できるなら、フェスで海外のアーティストを呼んで有観客で開催することも現実的に検討ができるのだろう。

ただその「できる」にはリスクも含まれている。9月では観客側のワクチン接種が完全に間に合わないし、ワクチンを接種していない観客を呼んでいつものSUMMERSONICのような規模のフェスを開催するのがリスクになることは明らかだ。緊急事態宣言下において店舗規模に応じて時短・休業要請がされているように、イベント規模が大きくなると、大人数の観客が交わることになる。間違いなくリスクだ。

この声明は「このまま何もせずに立ちゆかなくなってしまうなら、もうリスクを負ってでもやるしかない」という飲食店の考え方に近いのかなと思う。

正直な気持ちとして、開催を手放しには喜びづらいと思っている。オリンピックは国が総力を挙げて感染対策をしようとしているけれど、同じレベルの感染対策は民間で実施できない。招待したアーティスト達をコントロールすることは非常に難しいだろうし、観客のワクチン接種状況や行動のトレースも困難だろう。規模はもちろんオリンピックより小さくなるとはいえ、オリンピックよりリスクが高くなる可能性がある。

イギリスは政府の取り組みで段階を踏んでフェスを解禁してきた経緯がある。日本もこうあって欲しかった。日本にとってはその段階を踏んでのイベントがオリンピックなのかもしれないが、もしオリンピックが開催されたとして、その経験や知見はオリンピック後に他のイベントに対して活かされるだろうか。オリンピックが開催できたのなら他のイベントもできるはずだ! という旗印に使われるだけなのだったら、オリンピック後のコロナ対策に大きな影を落としかねない。

20210601

緊急事態宣言が緩和されて、休業していたいくつかの店舗は平日だけ開店するようになった。宣言自体は継続して発令されており、出歩かないようにすべきなのは変わらないので「緊急事態宣言が緩和」という表現は適切ではないのだけれど、街の雰囲気からは緩和を感じる。

駅前の百貨店が開くようになったのは大きい。いつもの日々が戻りつつあると、多くの大阪の人は感じたと思う。

ただ平日の昼だけ店舗が開いても、店舗を利用できるのは平日に休みが取れる人だけだ。休日と平日で街の雰囲気も変わるのだろう。平日に休みを取れることが特権になるかもしれないな。土曜の休日を水曜に振り替える会社が出てきたりしたら面白い。

20210602

くるりのライブに行ってきた。

チケットを買ってからコロナ禍の状況は悪化するばかりで、恐らく延期になるのだろうなと思っていた。新譜の「天才の愛」が正直そんなにハマらなかったし、ファンファンの脱退もショックだったので、あまり期待しないでライブに行ってきたけれど、終わってみると大満足だった。

新しい体制のくるりは、剛直なバンドサウンドだった。音色がモノクロになった代わりに、荒々しさが戻ってきていた。特に光っていたのはドラムの石若駿で、やたらにややこしい手数のドラムを安定して叩いているのには本当に驚いた。どれだけ暴れても芯が崩れない安定感のあるドラムのおかげで、ギターの二人が全力で演奏できていた。この今のバンド形態に欠かせないドラム演奏だったと思う。

そしてくるりの歴史の長さは伊達ではなかった。体制が変わっても、その新しいバンド形態に合った曲が既にストックされているのが、くるりだ。新旧の曲のストックから今の体制にあった曲をピックアップできる、そのくるりのキャパシティに驚いた。

毎年の音博で色々な形態でくるりの演奏をしていた経験が、柔軟なバンド形態の変化に生かされたのかもしれない。過去の体制の演奏はもう聴けないのだなという寂しさはもちろんあるけれど、一期一会だからこそ素晴らしい、と思い直すことができたライブでもあった。当たり前に通えていたライブのありがたみを感じた今だからこそ、その一期一会がより心に響いたのかもしれない。

20210603

ランニングを無理矢理習慣にしてみると、ペースが遅くなった代わりに安定して走れるようになった。足が程良く疲れているくらいが丁度いいのだなと思う。今のところはランニングを習慣付けてカロリーを消費することが目的であり、速く走ることは目的としていない。積極的に回数を増やしてからペースアップは気にしたらいいのだ。

外を走っているときの、スマートフォンなどの画面を何も見ることができない時間を新鮮に感じる。ジムでランニングしている時には何かしら動画を見ていたので、無心に長距離を走る体験は久々だ。一日に少しぐらいはこんな時間があってもいいのかなと思う。

20210604

金曜の仕事が終わっても開放感がこみ上げてこない。平凡な週末を過ごす日々が続いたせいで、土日を喜べなくなっているのかもしれない。平凡な日々にストレスが溜まってきていて、喜びを感じる余裕がなくなってきているのだと思う。

これまでどんな週末を過ごしていたのかも、徐々に思い出せなくなってきている。ストレスがない過去の日々では、どんな週末を過ごしていただろうか。同じように家でゴロゴロと過ごす週末だってあったはずなのに。

この一年強での生活の変化が大きすぎることが、少しずつストレスとして積み重なってきているのだと思う。コロナ禍によって生活の変化を余儀なくされたとき、ただ閉じこもるのではなく、これを機会に色々なことを始めようと考えたのだけれど、それで生活を変化させ過ぎてしまったのかもしれない。

まず転職したことがストレスになっているのは明らかで、それは徐々に慣れていくしかない。だけれども、それ以外の生活の変化はもう少し穏やかにしてみてもいいのだろう。気分転換に趣味を増やそうとしたつもりでも、その趣味がストレスになってしまうことだってある。

20210605

オリンピックの話を日記に書くのにうんざりしているけれど、書かざるを得ない。

「我々はスポーツの力を信じて今までやってきた」から医学からの言葉は受け入れられない、といったような趣旨の発言をオリンピックの担当大臣がするのは最悪だ。アスリートにとって最悪だと思う。コロナウイルスに打ち勝つためにスポーツができることなんて、医学以上のものであるはずがないのだ。

アスリートもそれは分かっている。アスリートだってもしコロナウイルスに感染して大事になった場合は、医学のサポートが必要なのであり、医学・科学のサポートの上で実現できるのがオリンピックなのだ。安心・安全の上で成り立つオリンピックというのは、医学・科学が土台であるべきではないのか。医学的な安全を最優先にしてオリンピックを開催する気がない、と大臣が発言してしまったようなもので、うんざりする。オリンピックの開催が最優先です、その上で国民の完全を守ります、と優先順位を明言したらいいのに。

これがもし「スポーツ」ではなく「音楽」の力でといった文脈で発言されたらゾッとする。きっとアーティストからは大ブーイングが何かしらの形で上がっただろう。

20210606

積んでいた本を読んだ一日だった。

明日は健康診断があるのだけれど、それ以外の時間を有給休暇にしたおかげで、気持ちに少し余裕がある。休みがあると気持ちに余裕ができるということは、やっぱり心の奥底では休日を欲しているのだ。良かった。ストレスは結局、時間に解決してもらうしかない。