20210424 切実さ

屋外のライブイベントに行ってきた。明日から大阪には緊急事態宣言が発令されて観客を入れたライブイベントは原則できなくなる。今日開催だからできたイベントだ。ただ今日と明日の違いは、ただ発令が出ていないか出ているかだけであり、コロナウイルスの感染リスクに大きな違いがあるわけではない。

参加する人の誰もが厳しい状況を理解していて、日中でも飲酒は禁止となったし歓声を上げる人もいなかった。客席の埋まりも悪かった。コロナ禍前の感覚であれば、盛り上がらないライブのように見えたかもしれない。もしこのライブの光景を録画して後に見返したら、静かで盛り上がらなかったライブだったとまずは感じることになるとは思うのだけれど、その場にいた観客としてはこれまでにはない熱量を感じたライブだった。誰もが切実にライブを求めてこの場に臨んでいて、無言で集中する観客からは緊張感が漂っていた。有形無形の制限の中で心中では盛り上がっていたことは、きっとアーティストにも伝わっていたと思う。

コロナ禍において自分の行動を厳選していく中で、自分の中にあるこれだけは譲れないというものが浮かび上がってきた。今日のライブもその一つだった。ただそれは「自分にとって本当に大切なものを見つけることができた」といったポジティブな選定ではなく、葉を切り落として茎だけが残ったような剪定だった。この状況が続くと、私の中の譲れないものもきっと枯れてしまうのだろう。不要不急が行動基準として声高に叫ばれる今、私は思い返すべきだった。コロナ禍の前から私の時間は有限であり、私が必要だと思える行動を選択していたことを。私がコロナ禍で諦めた今までの行動の全ては、不要不急だから諦めたのではない。必要でも、急を要しても、諦めなければならない行動があったのだ。

コロナウイルスの感染リスクが高い現状、これからも行動の厳選は必要となるだろう。難しい選択を迫られる日々はこれからも続くだろうけれど、選んだ行動、選ばなかった行動、その行動の選択の先に何があるのかを意識して、生きていかなければならない。コロナ禍が過ぎ去っても、その先に未来がなければ意味がない。