20210408 Tシャツの精鋭たち/ユニクロは無難ではない

服の整理に取りかかった。最近は部屋の整理ばかりをしている気がする。私の服の多くはTシャツで、そのTシャツの多くは音楽アーティストの物販で買ったものだ。このTシャツたちもCDや書籍と同じように、度重なる断捨離を経て生き残った精鋭であり、上澄みの中の上澄みなので、今また改めて処分しようと引き出しを開けても、なかなか処分する候補が出てこない。

この物販Tシャツたちには恐ろしい性質がある。古くなればなるほど手元に置いておきたくなるのだ。入手が困難になればなるほどそのTシャツは自分の中で価値を増す。以前処分したTシャツのことを数年後に思い出して後悔することもしばしばであり、過去の体験が余計に判断を鈍らせる。

その結果今手元にあるTシャツの多くは、着るのももったいないぐらいに大事にしたい年代ものなので、大量にTシャツが家にあるにもかかわらず、普段着るTシャツは数枚しかないという現象が起こってしまっている。普段着るTシャツが足りなくなって、ユニクロでTシャツを買おうかと思ってしまうことすらある。末期だ。


リモートワークが多くなり、仕事中に着る服の傾向が変わってきた。以前の職場ではYシャツを主に着ていたけれど、今の職場ではカジュアルな服装でも許される。ユニクロで安いシャツを数枚見繕って着回すことにした。

しかしユニクロの服、どうもしっくりこないのである。同じ値段ぐらいのH&MもGUもしっくりくるのに、ユニクロだけはどうもしっくりこない。

姿見を眺めながら何がしっくりこないのかを考えたけれど、ユニクロはどうも色とサイズが古臭いのだ。歳を重ねてゆるんだ体型を、ユニクロはそのまま外側に反映させてくる。飾り気のない服は素材の欠点を全くフォローしてくれない。ありのままをさらけ出してくるこのデザインは、最も大衆向けではない気がする。ユニクロは無難なチョイスではない、ということを改めて心に刻んだ。ロゴが付いたブランド服の方がまだ無難である。