20210509 ワクチンと経験

SNS上では「ワクチンを接種しないなんて信じられない」みたいなことを書けるけれど、「ワクチンを打ちたくない」という話を面と向かってされてしまうと、ワクチン打ちましょうと言うのは難しいなと思ってしまった。今日そういうことがあったのだけれど、かける言葉に詰まってしまった。

血管に液体を直接流し込むもの、副作用が顕著に発生しがちなもの、となると、直感的に怖いと思ってしまいがちだ。そういった怖い気持ちに対して、接種しないのは非科学的な態度だと切り捨ててしまうのは乱暴なのかもしれないなと思う。ワクチンの科学的な説明をするのは、とても難しいと思う。ネットで科学的な背景を調べて分かった気持ちになっていても、それを誰かに簡潔に説明するのはハードルが高い。

「ワクチンを打たずに、緊急事態宣言を続けるわけにはいかないんだから打つしかない」ということを言いそうになったけれど、それはワクチンが安全であるという理屈にはならない。またワクチンを接種しなくても、周りの人がワクチンを接種して感染が治まれば安心、という利己的な考え方もある。これは社会の一員的には正しくないけれど、一個人としての戦略としては正しいのだ。理屈だけで考えるのが正しいとも言えないのだと思う。

「よく分からないものを自分の身体に取り入れるのが怖い」という気持ちを、理屈で押さえ込むのは難しいなと思う。ただ内服薬やサプリメントは抵抗なく日々飲めたりするわけで、もしワクチンが日々飲み続ける内服薬タイプだったりしたら、抵抗も薄かったのかもしれない。注射に比べると口に何か放り込むことには寛容な人が多い。それは誰でも日々何かしらを食べているし、変なものを食べて腹を下したりしても、最終的には回復したという経験があるからだ。

経験は説得材料として非常に大きいけれど、もちろん未知のものには対応ができない。新型コロナウイルスという未知のものに対抗するためなので、未経験の対応になってしまうことは十分にあり得るのだけれど、経験に頼って生きていた人ほど、経験していないことをするのは難しい。

前例主義的に生きることだけが正しいわけではないのだな、ということをこの一年で強く思う。

20210508 サカナクション/積読の解消

「忘れられないの」に注目して以来サカナクションをよく聴くようになった。サカナクションゴールデンウィークYouTubeでワンマンライブを全編プレミア配信しているので、時間が合ったときにそれを観ている。

毎回テーマを変えてツアーをやっていて、ファンを広げながらも既存のファンを飽きさせないようにしているのが分かって面白い。キャッチーなシングルを山ほど持っているバンドなのに、それに頼らないライブをやっているのは偉いし、色々なファンが楽しめるように多面的な仕掛けを凝らしていることが分かる。感心した。

積極的に聴こうとしていなくても、サカナクションのシングル曲はなぜか知ってるもんな。「忘れられないの」も、能動的に聴いた覚えがないけれど、聴いたことがある曲だった。曲が猛烈にキャッチーなのだろうし、色々なチャネルでサカナクションが流れているということなのだろう。改めて面白いバンドだなと再認識した。


日記を書くようになり、自分の行動を見直すようになったおかげで、毎日をちゃんと過ごそうと思うようになった。その結果ちゃんと家の積読が消化されてきていて、良い変化だなと思う。 行き場のない本が積まれていた床のスペースを少しずつ整理できるようになってきた。

本をいいペースで読めるようになってきたことで、本屋でつい何か本を買ってしまう衝動も抑えられるようになると思う。表紙や帯の文句に惹かれたときに、ちゃんと中身を読む自分をイメージできるかで、買うかどうかを判断できるようにしたい。本屋に出向いたお土産のように本を買ってしまうのはもう止めにしよう。

20210507 英語の勉強/会見の質疑応答

英語を勉強しなければならない、ということを痛切に感じる。上達のために学習すべきカテゴリも多い。単語や表現を覚える勉強、とっさに英作文する勉強、ヒアリングの勉強、色々なカテゴリの勉強が必要になっている。仕事特有の表現も勉強しなければならない。やるべきことが多いのに、すぐに上達しなければならないという状況もあり、気持ちが焦る。

今ここが英語を真剣に勉強するラストチャンスだと思っている。記憶力の低下が明らかで、同じ単語でなんども躓いてしまうことが多くなった。人生は長いのだから、時間をかけて少しずつ勉強すればいつかはどうにかなるのかもしれない、と思い続けてここまできたけれど、これまでのような真剣さでは、どうにかなる日はやってこないだろう。

時すでに遅いのかもしれないけれど、やらないと今の職場では仕事が続けられないから、真剣にやるしかない。逆に今の職場で英語で仕事ができるようになったら、他の職場でも重宝されるレベルの仕事ができるようになるだろうし、モチベーションは良くも悪くも高い。

とりあえずは英単語を真剣に覚え直すのと、英会話の場数だな。


緊急事態宣言延長の会見を見た。質疑応答の印象がとても悪い。質問している人が何を疑問に思って質問をしているのか、ということを酌み取らずに表面的な回答に留まるばかりのやり取りが続いていた。具体的な対策や目安を知りたいのに、抽象的な方針や精神論だけの回答では誰も納得ができない。

一問一答という形式なので、質問の意図を酌み取らない回答がされても質問はそこで終了になってしまう。そのため色々な質問が飛び交っているのに、回答によって詳細が明らかになることも少なく、空虚な時間が過ぎてしまうだけだ。

国民に呼びかける場であるはずなのに、国民を安心させたいという強い意志が感じられない。面倒な質疑応答をなんとか切り抜けたいという受け身の気持ちだけが伝わる。具体的に安心できる情報が提示されない結果、何も具体的な対策はないのだろう、という憶測ばかりが先行してしまうことになる。「国民の安心が得られるような対策をする」では安心ができないから、憶測が飛び交ってしまうのだし、もう少し状況を説明した上で本音で話をされたほうがいい。知事の会見の方が、まだ意志は伝えられていると感じる。

20210506 仕事再開/宣言とオリンピック

長い連休の後に一日出勤すると、少し安心してしまうのはなぜだろうか。仕事がある生活リズムの方が安心できるのかもしれない。仕事人間のようなので認めたくないことだけれど。休日より平日の方が、コロナ禍によるストレスを感じ辛いからかもしれないなと思う。


緊急事態宣言が伸びそうだ。恐らくはオリンピックのタイミングで感染者数の谷が来るように調整したいのだろうなと思う。オリンピックを中止できないのに、ワクチン接種率は全然上がらないというのは、今の日本が世界でどういった立ち位置にあるのか、ということが如実に表されている結果だ。

オリンピックが開催できたとしても、多くの国民には達成感は生まれないだろうし、あのオリンピックを開催する金で何ができたか? を考える日々を過ごすことになるのだろう。去年の段階で無観客を決定して種目を減らすなど、コンパクトな大会に舵を切ることができたら、もう少し状況は違ったのかもしれない。

オリンピックの管理側がアスリートのための大会であることを表明することで、国民の怒りがアスリートに向かってしまっているのも、アスリートにとっては気の毒だと思う。管理する人間が矢面に立たず責任を回避するから、国民同士で争い合うことになるのだ。

20210505 GW最終日/おやすみモード

ゴールデンウィーク最終日は静かに過ごした。あっという間に一週間が終わってしまったという感覚がないので、きっといい一週間を過ごすことができたのだなと思う。

この一週間で外出する機会は何度かあったけれど、一番遠い外出先は教習所近辺で、それ以外の外出は遠くて最寄りの駅前までだった。外出しなくてもできることは多い。もちろん外出しないとできないことも多いけれど、外出の選択肢が狭まったことで、むしろ落ち着いた一週間を過ごせたかのかもしれない。

来年はさすがに状況が改善するだろうか。ワクチン接種は進むだろうけれど、それで確実に状況が好転するかは分からない。社会に積もり積もってしまった不信が解消されるには、まだまだ時間がかかる気がする。ワクチンを接種してもマスクを手放すことはできるだろうか? 電車内で咳き込んだ人や酔っ払う人を許すことはできるだろうか?


ゴールデンウィーク積読が減らなかった、むしろ増えてしまったのはちょっと誤算だった。YouTubeNetflixに時間を使ってしまったなと思う。スマートデバイスを触らない時間というのを、もう少し意識的に作るべきなのかもしれないなと思うけれど、今や音楽を聴くのもスマートフォンからばかりだ。つい手に取ってしまうきっかけが多すぎる。

せめて一時的にiPhoneに通知が出ないようにできればな、と思って調べていたら、iPhoneのおやすみモードを活用すれば実現できそうだ。本来の使い方ではないけれど、工夫して使ってみよう。

一時間だけおやすみモードにする、といった設定ができると便利なのにと思う。集中モードみたいな。iPhoneを全く触らない時間を作ることができるアプリがあるのは知っているけれど、音楽プレイヤーなど特定の操作だけはしたいのだ。iPhoneのデザイナーからすると、機能に頼らず気持ちを強く持って集中しろよ、ということなのかもしれないけれど。

20210504 配信ライブ/DMM英会話

THE MATSURI SESSIONの配信ライブを観るための一日だった。

こんな熱量のライブが無観客で行われているのだ。こんなに寂しいことはない。

ライブ演奏をしている光景をディスプレイ越しに見ながら、もう今の時代は配信ライブだな、と言えるようになることはきっとないだろう。もちろん配信ライブにも良さはあるけれど、それが生でライブを観る体験を代替できることは決してない。その場に存在しなければ伝わらないものは、アーティストと観客の双方向でどうしても存在する。


英会話の勉強のために、DMM英会話のトライアルを始めた。無料体験レッスンを受けてみて、続けられそうな手応えはあったので、前向きに継続を考えることにする。

レッスン時間の25分は短いかなと思ったけれど、一度受けてみると、毎日やるには丁度いいレッスンの短さだった。以前通ったことがある英会話教室では40分程度のレッスン時間が基本だったけれど、生徒としてはこの長さは結構負担だったのだ。慣れた相手だとレッスン時間が長くても苦にならなかったのだけれど、知らない相手や苦手な相手との40分のレッスンはつらい。週に一回なら長いレッスンを頑張ろうと思えるけれど、毎日やるのなら短いレッスンで強い負荷なく継続できる方がいい。

レッスンで失敗してもいい、元を取ろうと意気込まなくていい、と思える価格の安さもいい。正直なところDMM英会話の料金はもう少し高い方が安心できる。優秀な先生への指名料制度があるべきだと思う。

20210503 自粛と未来/飲食店での安全

今日は教習所に行った。けれどもコロナウイルスの感染拡大が収まってくるまでは控えておいた方がいいと感じた。教習はどうしても誰かと同じものを使うことになるので、屋外での講習になるとはいえ対策が十分であるとは言えない。今の変異したコロナウイルスへの感染対策に明確な物差しがないので、ちょっと危ない気がするのであれば避けておいた方が良い気がする。あとは不特定かつ多くの若い人と一緒に教習を受けることに、ちょっと感染リスクを感じてしまうというのもある。あと少しで免許が取れる、という段階でもないので、今無理して通う必要はないだろう。

もちろんこの判断は、感染拡大が短期的に収まるという前提でのものだ。ゴールデンウィークが明けてまた感染者数が増え出し、状況が悪化してしまったら、あのとき通っておいたらよかったなと思ってしまうかもしれない。

自粛というのは先の見通しが立っていて、今実行しなくても近い将来には実行できるからこそ成り立つものだと思う。状況が悪化する一方なのであれば、できるだけ早く実行するのがむしろリスク回避になる(もちろん「一生実行しない」という選択肢が一番リスクが低いのだけど)。例えば三ヶ月後に多くの国民に対してワクチン接種ができるなど、状況が改善する目途が立っていたら、今の自粛ムードももう少し真に迫ったものになっただろう。


食事は自炊かテイクアウトの二択になりつつある。多くの飲食店では残念ながら黙食は守られておらず、マスクをせずに雑談している客がいる。多くの店では入り口を開放して換気しているけれど、雑談がされがちな団体席は店舗の奥にあって換気が十分にされなさそうなので、結局はできるだけ人の少ない飲食店に入るのが一番の感染対策になる。

駅前のチェーン店より郊外の個人店の方が安全だろうと思ったのだけれど、郊外の個人店では常連客のような団体が雑談に勤しんでいることが多いので、これも安全ではなさそうだった。その場で食べたいのなら立ち食いが安全そうだけれど、立ち食いがあるのは人の往来が多い場所で、客自体の出入りも多いので、総合的には安全とは言えなさそうだ。

よく外食していた店には特に生き残ってほしいと思うけれど、お金の落とし方にはずっと悩んでいる。